■今日の質問「慣習を打ち破り、新しい可能性の扉を開けていますか? 」
こんにちは。みらい創世舎の森泰造です。
弊社のある小金井市は、風が気持よく過ごしやすい一日になりそうです。皆さんの地域ではいかがでしょうか?
さて、本日から私のメールマガジンの配信を始めます。よろしくお付き合いくださいませ。
今回のテーマは幕末の薩摩藩藩主・島津斉彬(なりあきら)。みなさん、日本史の教科書で学んだ記憶もあることかと思います。彼は「人財育成」でその功績が評価されるようになりました。
島津斉彬は、曾祖父の島津重豪(しげひで)に影響を受けて蘭学に傾倒し、周囲からはオランダかぶれと言われ、なかなか藩主となることができませんでした。しかし、藩主となるや否や新しい考えを取り入れることで藩の運営を発展させようとします。その一つが「人材登用」でした。
当時の身分制社会からは考えられないことですが、斉彬は藩に勤める面々に対して思っていることは提案すべしと通達を出します。これに反応したのが、当時23歳だった西郷隆盛です。
西郷は農民から米を集め藩に収める若手役人だったのですが、その過程で賄賂をもらう輩がいるのを我慢できず、島津斉彬に何回も訴えます。
島津斉彬は西郷に対し面と向かっては「人の悪いところを捉えて忠告するとは心が狭い」と切り捨てますが、実は西郷のその実直さ、純粋さを見て、「こいつは大物になる」と見込み、後に登用するのです。
同様に小松帯刀(たてわき)も、周囲から物事に没頭すると体を壊すまでやってしまうので「変人」と言われていましたが、斉彬はそのひたむきさを見込んで登用しました。その後の両者の活躍は歴史を見ての通りです。
斉彬は彼ら若き藩士に、学ぶ機会を積極的に与えました。日本各地にいる海外事情を学んでいた藩主の下へ、伝令などの役目で何度も通わせたのです。彼らは赴いた土地で人脈を作り、それがその後の明治維新の大きな力・ネットワークとなりました。
島津斉彬の取った人財育成策をまとめると以下のようになります。
①近代的な体制を作るために蘭学を学び、古いしきたりや考えにとらわれない
②人を知るために門戸を開き「要領が良い」ではなく「純粋さ・ひたむきさ」で見抜く
③見込んだ人には学ぶ機会を与える
これはみらい創世舎の人財育成の基本理念である、
①ビジョンを描く
②相手を理解する
③支援の環境を整える
に通ずるものです。歴史に習い、たくさんの方々に喜ばれる会社を我々は目指します。
あなたも慣習を打ち破り、新しい可能性の新しい可能性の扉を開けてみませんか?